《街のよりそいさん数珠繋ぎ》(インタビュー12回目)

インタビュアー:よりそいメンバー

記事作成:よりそいメンバー

〈インタビュー日〉

2025年2月10日(日)

〈今回のよりそいさん〉

稗田さん(市原青年矯正センター センター長)

Q.普段はどのような業務をされていらっしゃるのでしょうか。

稗田さん:センター長という立場なので、直接受刑者に対して指導するということは、あまりないですね。うち(市原青年矯正センター)には現在職員が70人いまして、それぞれの職員が個別に指導をしています。様々な職種(福祉専門官・作業専門官・刑務官・教育専門官・就労支援専門官・医師・看護師)の人が勤務しており、チームを組んで教えるという形を取っています。

 私自身の業務は、いわゆるセンター全体の運営のかじ取りを行う立場です。どういう指導をして、どういう効果があったのかという報告を受けて、じゃあ新しくこういうことをやってみようかなという、センターでやってる処遇の内容とかについての全般のところを最後に決めるのが1つです。また、職員に対して指導する立場ですので、70名の職員に対して、普段から指導しています。それから、もう1つ大きな役目としては、広報です。非常に注目されている施設なので、ほとんど毎日のように視察とか参観とかいうのがあります。実際そういう方が来られた時に、説明をしたりとか、対応したり、外部に対して講演に行く、それらも大きな仕事の一つかなと思います。

Q.現在のお仕事を選ばれたきっかけを教えてください。

 稗田さん:私は法務教官として少年院での勤務からスタートしています。法務教官になりたかったっていうのは、事務的な行政の仕事よりも、実際人と触れる仕事であったり、人に対して何かをする仕事のほうが自分には合っていると思ったからです。他にもいろいろと公務員試験を受けましたけど、最終的に法務教官を選んだのが、自分自身の今までの経験を色々活かせるかなというところと、学校で授業をやって部活動を持ってというよりは、どうして非行や犯罪をしてきているのかなという考えや、なかなか学校でも馴染めない人たちにこそ、ちょっとでも関われないかっていう思いがあって、志望したというところがあります。

もう1つ言えば、実は中学校のとき、年上でしたが知人が少年院に行ったんですね。それがやっぱり大きなきっかけだったかなっていうふうには思います。当時、校内暴力っていうのがすごく激しい時代で、めちゃくちゃしてた人が少年院に行って、別人みたいになって帰ってきたんですね。出てきたら「お前らの将来のこと考えた方がいいぞ」みたいなことを言いだして、めちゃくちゃしてた人がたった半年でなぜこんなに変わったんだろうっていうのは、すごくインパクトがありました。なので、少年院って何をしたらこんなに変わるのかなと思ったのが1番大きかったかなと思います。また当時、『家裁の人』という漫画本があって、こうした時に先ほどのエピソードがあってですね、少年院の教官っていうのがあるんだということで選んだというのがきっかけになります。

Q.お仕事をされる中で、ご自身の中で変化したことなどはございますか。

稗田さん:この世界で28年くらい仕事をしていますが、年を追って色々な経験をすることで考えることは確かに変わってきたかなと思います。最初は少年院で教官をしていて自分と関わる少年に全力で向き合い指導するということが楽しかったので、残業は全く苦にならなかったですし、休みの日も普通に仕事をしているという状況でした。ただ色々な経緯があって、内部で試験を受けて監督者の研修に行き、そこから全国転勤生活が始まりました。我々の業界は矯正という世界ですが、当然少年院だけではありません。少年鑑別所や拘置所、刑務所もあればそれ以外の行政官庁という所もあります。その後行った先々で少しずつ視野が変わってきたなというのは感じます。私はもともと現場志向が強いので現場の施設であれば全国どこでも行きますと希望していましたが、なかなか思い通りにいきませんでした。いわゆる行政官庁と言われている事務的な仕事をする機会も多かったのですが、特に人事を担当していたときは、職員のご家族も含めその人生を預かるということを考え、職員が力を発揮できるような異動をどうすればいいかなどを考えるようになりました。また、民間委託をしている刑務所の立ち上げから関わらせてもらった時には、民間の事業者とタッグを組んで中の刑務所の運営をするのですが、我々の感覚と世間一般の人の感覚が全然違うこともあり、そういった感覚を大切にしないといけないなということも感じました。初めて大人の世界の拘置所で勤務した時はやはり少年とはまた違う難しさがありました。実は少年院の時に私が面倒を見ていた子が2年の間に40人くらい拘置所に入ってきたことがあります。大人になっても犯罪をしていると思うと、少年院で自分が指導していたことは効果がなかったのかな、もっとこういうことを教えておけばよかったな、といった反省みたいなものを感じました。特に社会復帰支援においては少年や成人に関係なく、再犯・再非行をなくすために我々にできることは何なのか、外に出た時に外の人とどのように連携を取っていくのかということをもう少し広い視点で考えるようになったかなと思います。

Q.触法者支援に対する思いを教えてください。

稗田さん:市原センターでは何らかの障害を持っている、あるいは境界線上にいる人を対象にしていますので、かなり手厚い処遇をやっていると思います。少年院には個別担任という制度があって、収容少年1人に対して教官が1人つくようになっています。学校であれば担任1人で学級には30人くらいの生徒を受け持つので先生の負担も大きいと思います。そうした中、市原センターでは受刑者1人につき2人の担任がつきます。それは多分、全国で当センターでしかやっていないと思います。刑務官と呼ばれている人と教育専門官と呼ばれている人が1人ずつついています。先ほどタニグチさん(知る先セミナーのゲストの方)がおっしゃっていましたが、施設では職員が収容者に対して面接できる時間があります。3人で話をしたり、2人でしたり。触法者支援に係る思いというのは漠然としているのですけども、やはり、受刑者を社会に戻すために、今の限られた時間で刑務所の中で何ができるのか、いる間から社会の人とコラボしてというか、入ってもらって共有して、いかにスムーズにソフトランディングさせるということを考えます。ですので、入所してからその準備をすぐに始めます。他の刑務所ではそんなに余裕はないので、個人個人なかなか行き届かないこともありますが、遅くとも仮釈放のおよそ6か月前くらいから始じめます。その点、市原センターでは長ければ2年、3年前、入所したタイミングから始めます。外にどうやってつなぐか、その重要性をとても感じます。また、ぶつ切りになってはだめだなと思います。昔は縦割りだったんですね。刑務所があって裁判所があって、出所したら保護で、それぞれはそれぞれに立ち入らないというような暗黙の了解がありました。ですが、今はそういうものはなくなってきています。特に出てからの仮釈放のあとの保護観察期間が、保護と矯正を一体化しているので、刑務所にいる間から、保護の世界の人というか、保護観察官や保護司の方に積極的に来ていただいていますし、雇い主さん、引受人さんにも来てもらって、所内の状況の共有やどういう風に出所したあと過ごしていくかのプランまで共有しています。それで外につないでいくということに力を入れて頑張っています。また、今年の6月から拘禁刑というものが始まります。簡単にいえば、懲役刑と禁固刑が一体化するというもので、懲役5年が拘禁5年に呼び方が変わるのかと違和感もありますが、「特性に応じた処遇」ということで個人個人の特性に合わせて処遇を決めていきましょうという部分が大きく変わる部分です。その先駆けとして、市原センターができました。全国の施設が拘禁刑に向けて準備していますが、市原センターはそのモデルの一つとして令和5年からスタートしていますので、こういうところは使えるなという部分を全国の施設に提供していきたいと思っています。

Q.ご自身の経験を踏まえて、世間の人にお伝えしたいことはございますか。

稗田さん:自分の身近に触法者の方がいるとたじろいでしまうというのは当たり前だと思います。ただ、触法者の方も関わりづらい方ばかりではないということを知ってほしいです。また、そういった方は失敗もすると思いますが周りの方のサポートがあって再犯防止につながるので、孤立しない環境を作るために周りの方が暖かく見守っていただきたいという思いがあります。触法者の方が身近に来て、たじろぐことがあっても自分一人でサポートするわけではなく周りにいる複数人でサポートすればいいので1人で気負う必要はあまりないかと思います。我々も出所するまでの間に本気でやり直そうとしている人に対する指導はしているので、皆さんにも見守っていただけたらなと思います。

Q.矯正施設などで働く側の人間として、これから志望する学生に対して意識したほうがいいことやアドバイスなど、何かありますか。

 稗田さん:やはり“人”対“人”なので、犯罪とか非行とかをしてきてはいますけれども、それに対して自分が代わって成敗するのではなく、やったことは駄目だときちんと教えないといけない。そういう感覚で接するのが1番重要かなと思います。

 それから、学生の皆さんも学業やアルバイト、趣味などいろいろご経験されていると思うので、その今までやってきたことを活かしながらやればいいのではないかと思います。採用試験に受かって職員になったらおしまいではなく、そこからスタートなので、私は生涯勉強とかっていうふうに思っています。やっぱりこう、目の前の自分が今何をやらないといけないのか、更生させるために何ができるのかなっていうのは常に考えるっていうことですね。そういう面では、私自身、ありとあらゆるアルバイトをしていたという経験はすごく活きています。例えば人に教えるっていう仕事では、対象者のレベルに合わせてどうやって指導すると相手に伝わるか、どうやってモチベーションとか、やる気を持たせるような教え方をするかを考えるという意味で、やっぱり役に立ったかなと思います。少年院では職員も資格をたくさん取れる機会もあって、そのために資格を持っている職員が他の職員に教えたりなんかもします。また、少年院では食育みたいなこともやっていて、少年が作った野菜などを食卓に出しています。その中で、実際に野菜を作った上級生が下級生にちゃんと教えて、野菜ができるまでにどれだけ苦労があったのか、だから残さずに食べる必要があるんだよ、と生徒同士で教える場面もありました。そういう効果もあったりします。こういったことからも、目の前の仕事を一つとっても、自分が分かってないと教えるってことができないので、自分が最低限のことは知っておこうと思って勉強するかということをずっと続けているのかなという気がします。なので今市原センターで勤務するようになったので、社会福祉関係の本をもう1回読み直したりして、今の社会の仕組みがどういう風になっているか、勉強のし直しみたいなことをしています。

Q.公的機関から民間企業に期待することはありますか。

 稗田さん:昔、島根県にある国の職員と民間の職員が共同で運営する刑務所で勤務していたことがありました。そこで感じたのは、民間企業のネットワークの広さですね。例えば、障害者手帳1つを取得するのにとてつもない時間と手順と労力がかかるという点においても、特殊な環境にあることを実感できました。手続きに関しては、慎重にならなければいけない部分もありますが、ソフト面や専門性の高さでは民間の方が進んでいるなと感じます。国と民間で感覚が違うことから、反発することもありましたが、うまく回っていました。しかし、民間は利益を追求するのが目的の1つであり、公的機関はそうではないという点から、契約変更や改正のためにはお金がかかってしまう難しさがありました。そういった経験から、民間のネットワークの広さと専門性の高さには期待しています。

〈感想〉

インタビューを通して、発達上の課題をもつ受刑者に対する支援やその思いなど、学校では学べないことをたくさん聞くことができ、私たちにとってもかなり勉強になる機会でした。また、センター長の様々な経験が、いろいろな立場が存在する施設の在り方に直結しているのではないかと感じました。

今回、センター長が大阪まで出向いてくださりインタビューを受けてくださいました。心より感謝いたします。